社寺

寶登山神社

ほどさんじんじゃ

ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン一つ星

寶登山神社伝によれば、第12代景行天皇の41年(111)皇子日本武尊が勅命によって東国平定の時、遥拝しようと山頂に向っている折、巨犬が出てきて道案内をしてくれた。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに出遇い、尊の進退はどうすることもできない状態になってしまった。その折巨犬は猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができた。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起きたという。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、また防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭し、これが寶登山神社の起源であると伝えられる。

電話番号:
0494-66-008

定休日:
無し

公式サイト

長瀞町大字長瀞1828 地図を見る
社寺

総持寺

そうじじ

秩父鉄道・野上駅から西の山に向い、国道140号線を横切って10分位の所にあるお寺で、秩父七福神(福禄寿)の一寺である。

長瀞町大字本野上924 地図を見る
社寺

福田柳儀斉の碑

ふくだりゅうぎさいのいしぶみ

柔道家・嘉納治五郎の師であり、日本一の柔道家といわれた柳儀斉福田八之助源正儀(1828~1879)の墓が本野上地内の多宝寺にある。

幼名は持田千代吉。文政11年に現在の長瀞町大字本野上に生まれ、この地方の柔術を学んだ。
24歳のとき、江戸の神田お玉ヶ池の天神真揚流磯正智に弟子入りし、入門6年にして師正智の技を圧したといわれる。
30歳にして幕府講武所の師範となり、日光山取締役福田家を継ぎ福田姓となり、号を柳儀斉と称した。
明治8年に浅草寺に献額し、自分より強い者があれば、何時でも撤去すると言ったが、彼以上の強豪は現れなかった。
10年には当時東京大学在学中であった、講道館柔道の創始者嘉納治五郎が入門する。
柳儀斉は12年8月14日に没したが、葬儀等については嘉納が取り計らったと伝えられる。

昭和5年、柳儀斉の偉業を偲んで講道館長・嘉納治五郎撰文による福田先生の碑が同所の八幡宮境内に建立された。

長瀞町本野上40−1 地図を見る
奇勝・奇岩

岩畳

いわだたみ

隆起した結晶片岩が文字どおり岩畳となって広がる長瀞の中心地。対岸には秩父赤壁と呼ばれる絶壁や明神の滝がある。荒川は、岩畳で青く淀んだ瀞となり美しさを増す。

長瀞町長瀞 地図を見る
奇勝・奇岩

菊水岩

きくすいいわ

風布の麓に見事な菊水模様を浮き彫りにした岩がある。この岩は赤鉄片岩と緑泥片岩からできていて、地質学上「横臥褶曲」と呼ばれる状態が整然と表れている。この岩が出来た当時の激しい地殻変動を物語る貴重な資料となっている。

長瀞町 風布 地図を見る
奇勝・奇岩

虎岩

とらいわ

県立自然の博物館の前方の河原に、その名の通り虎の肌を思わせるような縞模様の岩がある。茶褐色の脆雲母と白色の石英脈とが折り重なって波模様を見せるこの岩石は脆雲母片岩という。

長瀞町長瀞  地図を見る