柔道家・嘉納治五郎の師であり、日本一の柔道家といわれた柳儀斉福田八之助源正儀(1828~1879)の墓が本野上地内の多宝寺にある。
幼名は持田千代吉。文政11年に現在の長瀞町大字本野上に生まれ、この地方の柔術を学んだ。
24歳のとき、江戸の神田お玉ヶ池の天神真揚流磯正智に弟子入りし、入門6年にして師正智の技を圧したといわれる。
30歳にして幕府講武所の師範となり、日光山取締役福田家を継ぎ福田姓となり、号を柳儀斉と称した。
明治8年に浅草寺に献額し、自分より強い者があれば、何時でも撤去すると言ったが、彼以上の強豪は現れなかった。
10年には当時東京大学在学中であった、講道館柔道の創始者嘉納治五郎が入門する。
柳儀斉は12年8月14日に没したが、葬儀等については嘉納が取り計らったと伝えられる。
昭和5年、柳儀斉の偉業を偲んで講道館長・嘉納治五郎撰文による福田先生の碑が同所の八幡宮境内に建立された。